低学年不登校HSCの軌跡 4)回復魔法がかかった日

低学年不登校HSCの軌跡 HSP/HSC

小1の夏から不登校になった息子。
HSCだとわかって、やっとホッとした私は
秋ごろにはある方針を立てていました。

彼には強すぎた刺激から引き離して
まず回復。
そのうえでもう一度学校にチャレンジする。
その頃にはきっと、クラスの様子ももっと落ち着いているだろう。

しかし、私の思いとは裏腹に、
息子は休んで回復しているようにはどうにも見えない手探り状態。

でもある日、息子の回復が始まった日がありました。

たった一言の魔法

それは、たしか夫が息子に
「いやだったら先生の言うことなんか
聞かなくていいから
閉じこもってないで学校に行けばいいだろう」
というような話をしていて、息子が落ち込んだ朝のあと。

 

私が考え抜いた方針をちっとも理解してくれない
(ように思えていた)夫に腹を立てつつ

落ち込んでいる息子に、

「もういいよ。
行きたくないならさ、学校ずっと行かなくてもいい。
誰がなんて言ってきても、
お母さんが守ってあげるよ」

と声をかけました。

そんなに深く考えていったわけじゃない。
夫に対する怒りがメインだったかも。

でもその時
「いいの?」
と目を見開いて言った息子を見て

ああ、これだったんだってわかりました。

今は疲れていて元気がないから休もう。

その語り掛けが彼を追いつめていたことが、分かりました。

息子は
元気になったら学校に行かなくちゃいけないから
元気になるわけには行かなかったのです。

 

「もういいよ。
行きたくないならさ、学校ずっと行かなくてもいい。
誰がなんて言ってきても、お母さんが守ってあげるよ」

それが回復魔法のスイッチを入れる言葉でした。

魔法をかけるには

  • 大人の思い通りにすることをあきらめること
  • ただ安全に守られている安心感を与えること

それが必要だったのです。

 

子どもをそのままに受け容れること。

それは諦めることで、
コントロールしようとする手を離すことで、
母にとって本能的にとても怖いことで

しかも世間的には
ちっとも褒められたことでもない。

ただ子供を甘やかしているようにも見え
どこか子育てを放棄したようにも思え
先行きは見えなくなってしまい
周りには諫められたり咎められたり
することもあったりします。

 

でも、そこに必要なのは境界。

私には私なりの考えがあり、私たちには私たちなりのやり方がある。
心配やアドバイスはありがたく受け取るが、それでも線を引く。
私たちは私たちのことを、自分たちで決めてよいはずだ。

ちょうど文科省の方針も変わって、
不登校の子を無理に登校させなくてよい
という流れに切り替わっていた頃でした。

 

息子の気力が回復はじめても
ここからまだまだ、
長い長い不登校生活が続きます。

でも大丈夫、もう底は打ちました。
完全引きこもりからのHSC回復の道の始まりでした。

 

非HSPの父親は、理解し合えないが大切な味方

ちなみに、夫との息子理解のずれは今に至るまでずっと続いています。

夫は非HSPであり、人に気を遣って疲れるということが理解できないタイプ。

好きなようにやればいいんだよ。
逃げてもしかたないだろう。

というある種の正論で、全くの善意から息子に声掛けをしていました。

この期間は本当に、
私自身もとことん疲れていたので
彼の無神経さに腹が立っていました。
(喧嘩になって私が泣くこともありました)

しかし振り返ってみて、
父親のこの明るさが
息子にとってプラスに働いていることも確か!

普段は登校していないにも関わらず、
学校のお祭りや父親参加行事には
いつも堂々と息子を連れだしていましたし

学校との関係が途切れなかったのも
やがて息子が少しずつ学校で自分を出せるようになったのも
きっとこの父のおかげでしょう。

息子にとっては
苦手なことにチャレンジするのが怖いときも
おそらく大好きなお父さんに褒められたいという気持ちが
力になっているのだと思います。

非HSP親は、
HSCの子の回復が必要なときには
少し静かにしていてほしいのだけれど
元気になってきたときには
とても心強い味方である。

と思っています。

HSC子育てのバイブル「ひといちばい敏感な子」にも
親がHSPである場合と非HSPである場合
それぞれのメリットデメリットが書いてあります。

HSPだけのファミリーのメリットもあるだろうし、
敏感な人とそうでない人が混ざっているからの良さも
きっとあるんだろうなというのが
3年経っての実感です。

ぶつかりましたけどね、たくさん。

 

心と身体の回復が始まって、次は
5)学校以外の居場所を探る日々
です。

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